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大津家庭裁判所 昭和40年(少)420号 決定 1965年4月16日

少年 S・T(昭二一・一一・二六生)

主文

この事件について少年を保護処分に付さない。

理由

本件送致事実の要旨は「少年は白鳥事件に連座して、服役中の村上国治の釈放を要求するため、昭和三九年六月頃「住居地番地変更通知」用として、滋賀県八日市郵便局長から無償配布を受けた同局長記名の通信事務用郵便はがきのうち残存の一枚を利用し、

(一)  昭和四〇年一月末日頃自宅において、脅迫の目的を以て、東京都千代田区霞ケ関一丁目一番地法務省法務大臣宛に、上記通信事務用はがきの裏面を改ざんし「村上国治をお返しにならない際は必ず御命を御落し下さるようお願い申上げます」旨記載のうえ、発信人を滋賀県八日市市八日市郵便局長とする郵便はがきを投函し以て脅迫の目的で真実に反する住所、氏名および通信文を記載した郵便物を差し出し、

(二)  さらに、前記通信事務用郵便はがきを、本来の用途以外の使用に当て、前記法務大臣宛に差し出し以て不法に郵便に関する料金を免れ

たものである」というにある。

よつて、本件記録添付の各証拠、少年および保護者(養父)の各陳述を総合して判断すると、少年が送致事実冒頭記載の通信事務用郵便はがきを用い(一)記載の日時場所において、同記載のような文意および宛名を自ら改ざん、記載した事実ならびに前記郵便はがき昭和四〇年二月二日法務省大臣官房秘書課に到達した事実はいずれもこれを肯認することができる。

しかるに、少年は、前記郵便はがきを自ら記載してのち「このようなものを出しても何にもならないことは明かだ」と思惟し、そのまま、自室にある屑箱(小型ビニール製)に棄て、終始、差し出していない旨、陳述しており、その言語、態度からみて強ち虚言を弄しているものとも思われないのみならず、少年の高校在学当時担任の○井○○高校教諭も亦少年の従来の気性、学習態度にかんがみ嘘などをいう性質の少年でない旨陳述しており、結局少年が前記郵便はがきを自ら差し出し(または他の者をして差し出させ)た点につき、心証をひくに足る資料はなく、差し出したことを前提とする本件郵便法違反の事実はいずれもこれを認めるに由なく、他に虞犯性を認めるに足る事実もない。

なお、少年は生後三ヵ月にして現在の養父母に引取られ、実子のごとく養育されて現在に至り他に家族はなく、養父は自己所有家屋で青果物商を営み、月収約七万円を得、養父母共に律気、温和な人柄であり、少年の保護、教育には熱意はあるが少年に対してはやや甘い。少年は、昭和四〇年三月二日滋賀県○○高等学校を卒業(成績は中位の上)、中学校教員を志し、三重大学および滋賀大学の入学試験に順次応じたがいずれも失敗に帰し、目下明年を期し受験準備中のもので、高校在学当時から、社会問題や短歌に興味をもち「あららぎ」という同人雑誌に「三久太香晃」のペンネームを以て、数度投稿した経験を有するものであるが、たまたま、昭和三九年八月中旬頃(高校三年生当時)来校した松川事件の赤間元被告から、生徒二、三〇名と共に教室において、捜査上および政治上の所感を聴いて以来、捜査機関や政治上層部に、不当に暗い面があるものと速断して不信の念を抱くようになつていた折柄、同年一一月下旬頃、「国治を守る会」の氏名不詳の会員から、白鳥事件に連座して目下服役中の村上国治の母が危篤のため、家族から再三法務大臣宛に国治の一時釈放方を上申しているが、許されない旨の話を聴き、その真否も確かめないまま「母の危篤にも会えないようなことは人道上許されないことだ」と速断し、ひそかに義憤を感じていた。たまたま、昭和四〇年一月下旬頃、自己の勉強机の抽出を整理中、前記通信事務用郵便はがき一枚を発見した際、偶然、前記村上国治の話を想い出し前記はがきに本件送致事実(一)記載のような書き入れをしてのち、不用意に自室の屑籍に棄てたものであつて、該はがきを差し出した事実は認め難く、従つて郵便法違反の事実はこれを認めるに由なきこと前段認定のとおりである。よつて、少年法第二三条第二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 谷賢次)

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